由緒・沿革

大同2年(807年) 駿河国富士浅間大神と鹿島大神の御分霊を鎮齋。

 

天喜4年(1056年) 源頼義・義家公父子奥州御討征の途次、再度にわたる御参拝で奥羽鎮定と奥方の安産を祈願。

 

康平6年(1063年) 征奥の大任を終え凱旋の折り、神護天祐のあらたかであったため、当社に報賽、社殿修営祭祀料の寄進をして源家累代尊襲すべきものと定めた。

棟札に残る造営の記録として、拝殿造立が寛文13年(1673年)とあり、本殿はそれ以前江戸初期の建立と云われ、以来建て替えられていない。

 

当社は、常陸国延喜式内社(※)28座の1つ、茨城郡「夷針神社」の論社(※)となっている。

 

常陸国延喜式内社とは

延長5年(927年)に編纂された「延喜式」の巻九・十「延喜式神名帳」に記載された神社。全国2861社、3132座。単に「式内社」または「式社」ともいう。

 

論社とは

現代において「式内社」の末裔社が判らなくなり、複数の末裔ともくされる神社が在る場合、それぞれの神社を「論社」という。